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2014年6月8日日曜日

移転

bloggerで書いておりましたローカルliferの記事を、姉妹サイトのサロン文化大学に吸収しております。こちらのURLになります。どうぞごひいきに。 http://salonandculture.kanotetsuya.com/tag/locallifer/

2012年6月16日土曜日

なぜ農家を対象にしたみかん狩りツアーは無くなったのか?



物置の隅で、大きな袋に入っている、柄がオレンジ色の剪定バサミを発見した。半ば錆び付いているが、まだまだ使えそう。しかも30丁くらい入っている。なんとなく見覚えがある。しかも、家庭用に使うにはなぜか数が多めだ。程なくして「ああ、子どもの頃手伝いをしていた、みかん狩りツアーの時に使った余りか」と思い当たった。

私の祖父は島の観光誘致を色々とやっていた。そんな中の一つに「農家を対象にした島でのみかん狩りツアー」があった。1980年代のことだ。

備中、備後の農村から白石島へやって来て、みかん狩りをして、地引網をして、魚を食べるという日帰りツアーだ。

手伝いに駆り出され「このハサミを一人ずつ渡せ」と言われ、黙々とハサミを手渡していたのを憶えている。ハサミを渡しながら「この人達は農家なのに、畑に生えているものを取りに来てうれしいのだろうか?」と考えていた。この頃は、地域によって植生が違うなんてことは全然知らなかった。

何年か、この仕事を手伝っていたのだが、ある時からパタリと仕事無くなった。その時はあまり気にならなかったのだけれど、物置でハサミを発見してから「なぜみかん狩りツアーは無くなったのだろう?」と考え始めた。

断片的な記憶をつなぎあわせたり、それを知っている人に取材に行ったりもした。こういう地元でのフィールドワークを、仕事のついでに行えるのは自分の強みかもしれない。
そんなことを考えながら、色々と情報を集めた。

何回か手伝った後に、みかん畑を貸してくれた叔父さんが「意外とみかん畑も荒れるからもうやめたい」と言ってきたのを憶えている。母に聞くと「ああ、あの仕事はよかった。夏以外でたくさん人が来て、土産物も売れたしなぁ」と、良い部分は憶えていたのだが、なぜなくなったのかまでは憶えていない。

そして「そういえば」と、父が憶えていたことを色々と教えてくれた。それは、仕事の発生と消滅を
  • とある、農耕機具メーカーが、農家向けに販売する商品の販促のアイデアを探していた。
  • たまたま、祖父にその話が回ってきて、島へのツアーを提案。
  • 農家の人も喜んで、結果農耕機具も売れたらしい。
  • しかし、独占禁止法違反か何かで指導が入ってから、そういうインセンティブの付け方ができなくなった。
  • 結果、みかん狩りツアーは消滅した。
というものだ。なるほど。独禁法というか、不当競争防止法?って気もするが、大体の流れは理解できた。流れは理解できたけど、これは一体なんだったのだろうか? と、更に興味が湧いてきた。

農耕機具メーカーは、なんでそんなインセンティブを付けようとと思ったのだろう。それは、他社との競争だろう。その競争の末に獲得するのは、農耕機具の注文だ。

旅行がインセンティブに付くくらいの商品をポンポン買えるほど農家は儲かっていたのだろうか? 一次産業の設備投資なので、補助金があったんじゃないだろうか? そう考えると、農家の設備投資に補助金が出るから、メーカーは高額な農耕機具を低いリスクで作ることができ、インセンティブに旅行をつけたので、離島の観光業も売上をあげた。

なるほど。これが経済で言うところの乗数効果というものか。その波及効果を獲得できるような位置に、かつての白石島はあったのだ。

あー、でもなぁ。一次産業の経営で問題に挙げられがちなのが、補助金ありきの過剰な設備投資だったりするんだよなぁ。

日本の「ものづくり」のいくらくらいが、こういった経営的に問題のある設備投資に支えられていたのだろうか?

これから先、仮に景気がよくなったとしても、その波及効果をつかめるような位置に、自分たちはいるのだろうか?

そう考えると、なんだか新しい課題を発見したような気分になる。自分は祖父のように、転がっているモノを拾うことができるのだろうかなぁ。


書き手:
天野直 瀬戸内海の白石島(人口六百数十人の逆境集落)で仕事してます。 主に桟橋を管理しながら生きています。最近は野菜の仲買なども。

Twitter: sunamn
web:白石島廻漕店

2012年5月29日火曜日

飛騨古川・瀬戸川用水の鯉が川を浄化させた!?

飛騨古川へ行ってきました。里山サイクリングの白石さんに少し町をご案内していただきました。古い町並みゾーンの瀬戸川は約400年前に増島城の濠の水を利用して造られた川で、当時は瀬戸川が武家と町民の町の境だったようです。



現在は1000匹あまりの鯉が泳ぎ、酒造や民家の白壁の土蔵が並ぶ、飛騨古川の顔となっています。

さてこの瀬戸川、実は生活廃水の流れるドブ川だったようです。

これをキレイな川にするために町の人々が考えた方法は、清掃して浄化することではなく、鯉を放し飼いにして生きていけるようにするために川をキレイにしようという試みでした。この試み、wikipediaによれば1968年のことのようです。デザインの力で町を浄化させる試みがそんな昔から行われていたなんて、町の底力みたいなものを感じます。

瀬戸川用水 - wikipedia


書いている人:
狩野哲也 さまざまなスペースに出張する文化講座 サロン文化大学/狩野哲也事務所 代表。コピーライター、ディレクターのはしくれです。クリエイティブの力で、様々な地域や社会の課題に取り組みます。街とマンガとNHKと餅が好き。

Twitter: kanotetsuya
facebook:kanotetsuya
blog:狩野哲也事務所 / サロン文化大学

2012年5月22日火曜日

町の中の村、天満村「雑貨と喫茶の店 露草社」

大阪市北区の南森町。この町はわりとビジネス街で、平日はOLやサラリーマンが忙しそうに行きかっています。ラジオ局のFM802もあります。でも、少し路地を入ると長年変わらない顔を持つ、ひっそりした町並みが並ぶのをご存知でしょうか。休日になると、人や車の往来はぱたりとなくなり、大通りでさえも顔が違います。

路地では猫が日向でねっころがったり、おばあちゃんが軒先で談笑したり、子供達がのんびり散歩していたり、忙しい大通りとは違い平日でも時間の流れがとても緩やかな住宅街があるのです。そのエリアをみんなは「天満村」と呼んでいます。町の中に実はこっそりと村が存在するのです。

私はこの村の人、村民です。4年ほど前に京都と大阪の県境からこの土地へ引っ越してきました。もともとは交通の便がいいというだけで選んだ土地でした。梅田が近く、地下鉄、JRが乗り入れていて、少し行けば私鉄あります。それだけでもこの土地へ引っ越してよかったなぁと思っていましたが、夏には大きなお祭り、天神祭りがありました。こんな大きなお祭りが自分の土地のお祭りだと思うととても刺激的でした。

しかし、それ以外は随分と静かです。路地では流れる空気の温度も違う気がします。頬にあたるとひんやりとしてとてもほっとするようなかんじ。都会のまん中にこんなゆるやかな空気が漂う場があるとは思っていませんでした。

刺激的な時間があると思えば、それはほんの少しの期間だけで、あとはほとんどがのんびりした時間。ものすごい二面性をもつ土地。今、私はこの二面性を持つ村を愛し始めています。

この天満村は今、少しずつ、本当に少しずつ進化し始めています。村時間を大切にしながら。大きな町のようではありませんが、村らしく、こじんまりとしたカフェ、雑貨屋さん、古本屋さんが出来始めているのです。

店主の方は、村民の人もいれば、村民ではない人もいらっしゃるようです。村民ではない人はわざわざこのエリアを気に入ってこの村にお店を構えているようです。


2012年5月8日に新しいお店がオープンしました。

雑貨と喫茶の店 露草社

もともとは鉄道広告社ビルの中の一室で雑貨店を開いていらっしゃいました。このお店の形態が少し変わっていて、他のお店の方と共同でその一室を使いスペースを区切ってそれぞれのお店をされていました。

一つのお部屋に違ったお店が並んでいて、お店のようにきっちり区切られていないのでそれぞれのお店の店主同士が談笑されていることもあるという不思議でアットホームなスペースでした。(そのスペース自体は別のビルへ移転されています)

新しいお店は天満宮の門を出て表参道を川の方向へ少し歩くと左手に見えます。店内へ入ると奥の方へ開けたカフェスペースがあり、壁面には選りすぐりの雑貨や切手たちが並んでいます。雑貨は手作り作家さんのもの。内装は自分達でペンキをぬったりしたそうです。



店主の谷川さんは、天満村の住人ではなく、お住まいは別のところだそうで、この方も天満村に魅力をかんじてお店をオープンさせたそうです。

「もともと、お店から近くにある鉄道広告社ビルというところの一室のスペースを借りて雑貨店を始めました。天満村のエリアに来たのは、そのビルの中で同じようにスペースを借りていた「hitoto」さんというギャラリーでの展示を見るためでした。そこで、取り仕切っているオーナーさんに偶然出会い、その方の魅力を感じてその場で即決し、雑貨店を開くことになったのです。

1年ほど続けてみて、やはり自分のお店を持ちたい、そして喫茶もひらきたいと強く思うようになり、お店を捜し始めました。それはやはりこの天満村エリアで、と決めていました。

天満村は商店街があるおかげもあるけれど、必要なものがそろっている町。でも、それはセレクトされた物やお店が並んでいて、買う、食べるが充実しています。でも、町の雰囲気は地方都市みたい。地元は静岡ですが、地元のゆったりした雰囲気に近いです。それでも、下町すぎず、おばあちゃんと若い人がこの町に同居していて、そして、お年よりもおしゃれだったり粋な人が多いように思います。

今日お店によってくださったおばあちゃんは、パンに卵とハムと野菜をはさんだサンドイッチを自宅でつくって食べるんだっていっていました。ただパンを焼くだけじゃなくて、わざわざサンドイッチにする。そういう生活を大切にした人たちがいるように思います。

この町は鉄道広告社ビルのときもそうですが、ふらりと人が立ち寄って輪が出来て、他のお店さんとも行き来があり、でも、いい距離を保ってる。とても不思議な町です」。



露草社さんでは親子連れのお客様も多いようで、お子さんとお母さんがゆっくりできるようなお店になればいいなとおっしゃっていました。お話を伺っている間にもおばあちゃんや近所のおばちゃんがふらりと立ち寄られて紅茶をお召し上がりになりお帰りになりました。のんびりしたいい空気がただよっていました。



私のオススメはレモンケーキのセット。写真ではアイスのほうじ茶で450円、他のドリンクとセットだと500円。素材は国産の無農薬レモンに四葉のバター、アメリカ産の有機栽培JAS認定の小麦粉、九州産のてんさい糖と店主のこだわりの一品。

もともとはお母さんから受け継いだレシピだそうで、こぶりながらぎゅっとしていて食べ応えがあり、とてもやさしい甘さとふんわりとしたレモンの香りがします。他のメニューも素材からこだわったものが並んでいます。

この天満村エリア。少しずつ、ゆっくりと変化しています。近々また新しいお店もオープンします。この町、いえ、村を愛する人、村民たちがまた増えそうです。


雑貨と喫茶の店 露草社
定休日:火/祝日 11:30〜19:00
住所:大阪市北区天神橋1-14-4 友愛ハイツ1F


より大きな地図で locallifer を表示



書き手:

辻千香 GiantGrammy所属役者。育児休暇中。2009年3月に男子、2011年4月に女子出産。毎日、育児奮闘中。

Twitter: decoChika
blog:少年パンチ

2012年4月20日金曜日

宿泊の視点から考えるこれからの地方の可能性

個と個のコミュニケーションを大事にした宿泊施設について考えてみると、例としてゲストハウスがあげられるかもしれません。

あくまでも私の感覚ですが、ゲストハウス(というより欧米ではホステル、オセアニアではバックパッカーズという方がしっくりきますが)は海外で旅をする際に使うものという印象が強く、日本国内では認知度は低かった気がします。

そして5年ほど前までは日本国内のゲストハウスというと沖縄、東京、京都、北海道など外国人を含むある程度の観光客数が見込める都市がほとんどでした。それがここ数年では長崎、熊本、岡山、香川、姫路、奈良、山梨、仙台など地方でもスタート。私自身も長野でゲストハウス1166バックパッカーズをオープンして1年半が経とうとしています。

価格帯はビジネスホテルなどと比べると安価で、本州では相部屋素泊まりで1泊2000円~3000円ほどが相場。この価格帯はもちろん長期的に旅行をしている人々にとってはうれしい価格だと思いますが、宿泊者の多くはそれが最重要事項というわけではなさそうです。

昨夜、スイス人ゲストが共有スペースで他の初めて会ったゲスト勢と熱く語っていたのが、「僕らは安いという理由でゲストハウスに泊まるんじゃない。ここは新しい人との出会いがあり、またガイドブックには載っていないローカルの情報がある、あたたかい場所なんだ」と。

少し話しはそれますが、“ゲストハウス”とGoogleなどで検索すると、長期的に滞在できる宿泊施設も出てきます。これは旅人が短期的に泊まるための宿と区別するため“シェアハウス”と呼ばれることもありますが、“個と個のコミュニケーションを大事にした”、という点では共通しています。

一昔前でしたら、人と住居をシェアするというと、何かしらの我慢を強いられながらも安価という理由から利用する人が大半だったと思いますが、ここ数年では血縁関係のないいわば他人である人と場所や時間を共有するため、あえて選ぶ人たちも増えてきているようです。

そして新しい宿泊の形として日本でも徐々にシェアが拡大されつつあるのが“カウチサーフィン”。アメリカで2000年に始まったこの制度は、海外旅行などを旅する人が他人の家に宿泊させてもらう(カウチ=ソファをサーフ=波乗りするように渡り歩く)制度で、金銭的なやり取りはなく相互的な思いやりや信頼関係によって成り立っています。

1166バックパッカーズを出発するフランス人ゲストに次の目的地を訪ねると、新潟の小さな町の名前があがりました。そこへ行く理由を聞くと、「カウチサーフィンのホスト(住居提供者)がいるから」。この形態ですと資金をかけて宿としての場所を構える必要なく、その分稼働率も気にしなくていい。

大都市、地方都市関係なく、国内どこに住んでいても“少し外に開けた場所”として人を受け入れることができ、住居提供側(ホスト)と宿泊先を探している側(カウチサーファー)ともに新たな出会いを楽しめます。

外に開くということを考えたとき、アサダワタル氏の提唱する“住み開き(すみびらき)”という言葉を思い出されるかたもいらっしゃるかもしれません。

アサダ氏の公式ホームページから引用すると、
“「住み開き(すみびらき)」とは、自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと”。

こういった環境をわかりやすく表現するためにつくられた最近の言葉ですが、カウチサーフィンもその代表例だと思います。

ちなみに比較的“都会”の部類に入る兵庫県尼崎市出身の私が長野に来て感じるのは、地方のコミュニティには地域の人が無断で家にあがってくるようなメンタリティが元来都会よりも強いということです。



春になると“住み開き”なんて言葉を知らないであろうおばあちゃんたちが軒先に出した椅子でひなたぼっこをしながら、「うちに寄ってお茶飲んでってよー」と観光客に声をかけてくれるのが、私の住む長野市西町のいいところだったりするのです。


書き手:
飯室織絵 長野市善光寺門前にて、相部屋素泊まり2600円の安宿・ゲストハウス、「1166バックパッカーズ」を営んでいます。 戸隠、小布施、松代、須坂、上高地、松本と長野市を拠点に日帰りで行けるところがたくさんあります。ぜひ、旅の拠点にご利用ください!

Twitter: orie1166
web:長野の安宿 1166バックパッカーズ

2012年4月15日日曜日

白石島での社員研修 チームワークの養成とオリエンテーリング

白石島では、毎年春にオリエンテーリング大会が開催されている。30年以上続いている恒例行事で、数年前には全国大会も開かれた。島全体が地図に収まる構成が特徴的で「歩いて行ける場所は全て競技場」という、閉鎖空間としての島を上手く活用していると評判だ。



私も子どもの頃から参加しているが、島の住民にとっては慣れ親しんだ場所なので、地図の理解は早いしルートも熟知している。しかし、それだけのアドバンテージがあっても、本職の競技者には太刀打ち出来ない。その一方で、ハイキング気分でコミュニケーションを取りながら家族で散策したりもできる。なかなか、奥の深い競技である。

さて、この「白石島でのオリエンテーリング」を、社員研修に活用している会社が二つある。今日は、その一つの会社の方に取材を申し込んだ。取材させていただいたのは「きのこグループ」という、総合医療福祉施設の方だ。

自分たちが住んでいる島の魅力とか良いところとか、自分たちでもわかっているようで、わかっていない。島へ来てくださっているお客さんに直接尋ねると、ホントに、思いも寄らない理由がポンと出てくることもある。

この会社は、7年間続けて企業研修のために白石島でオリエンテーリングをしている。それだけ続けているのなら明確な理由があるのだろうと思い、是非ともそれを知りたくなったのだ。

取材を申し込んだといっても、事前にアポを取るのが難しかったため、社員研修の当日、港の前を通過する時に取材を申し込み、帰りの船の中でお話を伺うという方法だったのだけれど。帰りの船旅は約45分。その中から30分ほど時間を頂いた。

きのこグループでは、三ヶ月の研修期間があるのだが、最初の数年間は4月下旬に島でのプログラムを行なっていたそうだ。しかし、4,5年前から4月上旬のなるべく早い時期にと変更することになった。

その理由は「島の厳しい環境でオリエンテーリングという競技を行うことで、チームワーク、信頼関係が構築される。それが早い時期に萌芽することで、研修全体にも影響する」というものだった。

『そんなに厳しいコースだっただろうか?』と、一瞬疑問を感じたが、子供の頃から島の野山で遊んでいた自分たちがオリエンテーリングをするのと、島の地理も何も知らない、オリエンテーリングもしたことがない人とは感覚が異なるのも当然だろうと思い直した。
チームでオリエンテーリングをするということは、目的を共有し、達成方法を共に考え、共に実行するということだ。意見を出し合い、協力し、体力の劣るものがいても切り捨てることはできないので支え合い、ゴールを目指す。

競技が終わった後には、自然と関係性が良くなり、チームの雰囲気も変わるのだという。
「行きの船の中と、帰りの船の中で、顔つきが変化しているのがわかります」と、断言するくらいの変化があるそうだ。

また、各事業所への配属も、研修中に分けられたチーム単位で行われる。研修中に培ったチームワーク、コミュニケーションがあることで、身近に相談できる、苦楽を共にした人たち、すなわち「同期」が存在することになる。その背景があるからこそ、仕事も上手くいくし、困難なことがあっても乗り越えることができる。

離職率の高い介護業界において、きのこグループでは離職者がほとんどいないそうだ。優れたマネジメント、研修カリキュラムと、その効果があってこその結果なのだろう。

島をプラットフォームにして、素晴らしい成果を上げている企業がある一方で、島の住民同士でちょっとしたトラブルや不仲が原因で、角を突き合わせるようなこともある。不思議なような、情けないような気もするが、今回取材した事を肝に銘じてどこかで活かしたいものだ。


書き手:
天野直 瀬戸内海の白石島(人口六百数十人の逆境集落)で仕事してます。 主に桟橋を管理しながら生きています。最近は野菜の仲買なども。

Twitter: sunamn
web:白石島廻漕店